Profile
1989年 | 早稲田大学理工学部機械工学科卒業。在学中は、人工臓器学会、ME学会、日本機械学会に所属し、土屋喜一研究室で学び、4年次は杏林大学医学部にて出向研究。 |
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同年 | (財)松下政経塾に10期生として入塾。米国ワシントンDCのEESI(環境エネルギー研究所)にて国際環境政策の研究・提言。 |
1992年 | 卒塾後、武村正義代議士(自民党・滋賀県)の秘書に就任。 |
1993年 | 衆議院議員初当選(最年少の26才。新党さきがけ、旧東京2区)。 実現した携帯電話の自由化、格安航空券の合法化などは、生活に革命的変化をもたらした。PL法や環境基本法など次々に法制化。党行政改革本部事務局長として、特殊法人改革、情報公開法の制定に邁進。 |
1995年 | ムルロア環礁における仏核実験で、世界の国会議員7人と実験水域に突入し、仏軍により拘束された。世界中から行動する日本の政治家として評価された。 |
同年 | 軟禁中のミャンマーの民主化運動の指導者アウンサン・スーチーと日本の国会議員で初めて会見。スーチーのメッセージを世界に届けた。 |
1996年 | チベット亡命政府のダライ・ラマ14世に与党議員としてはじめて会見。以後定期的に議論を続けており、昨年8度目の会談。 |
2003年 | 衆議院議員2期目当選(民主党、東京4区)。内閣委員会の筆頭理事に就任。消費者保護基本法、犯罪被害者等基本法、障害者基本法、食育基本法の成立に尽力。 |
2004年 | 党経済団体局長に就任し、経団連など経済界・各種団体の窓口として活動。党内に科学技術調査会を立ち上げ事務局長に就任。 |
2005年 | 郵政解散・総選挙により議席を失う。 |
2007年 | 民主党離党。 |
同年 | 社団法人日本WHO協会会長に就任(~09年)。新型インフルエンザ対策やエイズ問題に取り組む。 |
2011年 | 東日本大震災で亡父の故郷・いわき市で親戚を失い、以後、東京と往復しながら、復興支援を行う。 |
同年 | 青山学院大学客員研究員(~12年3月) |
2012年 | いわきの復興に全力を注ぐことを決意し、活動の拠点をいわき市に移動。 |
2013年 | いわき市長選挙に出馬。3か月の準備ながら、31,402票を獲得し惜敗。 |
2014年 | 東日本国際大学・地域振興戦略研究所客員教授に就任(~17年3月)。 |